College Art Associationという団体がある。
主に美術史家、作家、美術館関係者が所属する団体で、美術史研究の振興や作家への展示機会の支援などを目的としている。年に一度、一週間ほどの期間でカンファレンスが開かれ、美術史における様々な分野の発表が行われる。美術史のカンファレンスではアメリカで一番大きいということもあり、毎年発表者は150人を越え、全米中から関係者が集まる。毎回場所を変えて行われるが、今年はNYのヒルトンホテルが会場だった。
今回は非常にラッキーなことに発表する場を与えてもらうことが出来た。
(恥ずかしながら、博士課程3年目にして未だ一回もカンファレンスでの発表をしたことはなかった。)カンファレンスではCAAのメンバーがセッションの提案をし、論文を募集するという形式を取る。セッションの内容は様々で、例えば中東の写真からポルノグラフィーまで幅広い。私が参加したセッションは、作品において技術は意味自体に成り得るか、ということがテーマだった。他の3人のパネリストは、大学教授、美術館の研究員、作家という顔ぶれ。私のような駆け出しの研究者(ともまだ言えないくらい)が最前線で働いている人達と同じ壇上で論文を発表できるということにアメリカという国の懐の広さを感じる。
前日に集まって軽く挨拶や会話を交わしたが、皆こうした場はもう慣れっこといった感じだ。学校での発表ではどちらかというと皆で励ましあう雰囲気が強い。でも学会はやはりもっとビジネスライクな感じ。皆親切だが、お互いの領域を探りつつも深入りはしない、といったところ。
発表当日は早めに会場入りするも、なんとそこで初めて自分のPCを持参しなくてはいけないことを知った。結局他のパネリストのPCを借りてなんとかパワーポイントを使うことが出来たが、こういうことも事前に確認しなくてはいけなかったと反省。甘いなー。
発表の場では生まれて初めてプレッシャーのかかる状態が楽しいと思えた。
聞き手も専門家が多いだけに、質問も容赦ない。でも、それだけに意見や質問の交換はとてもエキサイティングなもので、緊張しつつも皆の学びの場に少しは貢献できたのではないかと思う。まだまだおぼつかない点は多々あるが、それは次回への課題ということにする。
発表をすること自体は全く特別なことではない。でも、準備をし尽くせば本番でいつも以上の力が発揮できるということ、プロフェッショナルとして論文を発表するということはどういうことか、今後の研究の方向性、その3点が分かったということだけでも私にとっては大きな一歩だった。
夜はMさんと一緒に鳥心というレストランに行った。Mさんの旦那様であるKさんは私の両親の大学の部活時代の後輩、というこれもまた両親つながり。とてもよくして頂いている。今回驚いたのは、レストランのオーナー夫婦の奥様が、私の知り合いの方と中学高校の同級生だったということ。ふとした会話から発覚してビックリだった。私はいつもこういう風に突発的につながりができることが多い。今度はMさんと、奥様、私とで飲みに行こうという僭越なお誘いを受ける。人生の後輩としてお二人から色々と学べることがあると思うと今から楽しみだ。
いつもよりお酒が格段においしい夜だった。